年 | 月 | 常磐炭田史の記事 | 補遺(出沢政雄氏による) |
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昭和 22年 | 硬式野球チームを編成 | ||
昭和 24年 | 石炭販売の自由化以後は 社名の宣伝と従業員慰安の目的 でこれを 強化 | ||
この頃 | 石城地区の高校を卒業 した選手を中心に 大学卒の選手も積極的に採用 | ||
昭和26年 | 1月 | 早大出身の谷口五郎を監督として招 いて | |
昭和26年 | 5月 | 第5回ベーブルース杯争奪野球大会 (桐生球場) 1回戦 協和発酵2:4 2回戦 富士鉄室蘭 5:2 |
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10月 | 湯本町に5 ,000人の観客を 収容できる準公式の浅貝球場 を造成 | ||
昭和27 年 | 都市対抗東北大会では初優勝を獲得した | 第23回全国大会(後楽園) 1回戦 日本石油6:7 2回戦 全鐘紡(優勝) 4:1 |
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昭和28 年 | 2月 | 谷口監督が・・・ 辞任したのちは、同 チーム 創設時の選手であった坂本 徳治がチームの強化にあたった。 | 谷口監督 巨人軍コーチとなる |
坂本義一(元阪急ブレーブス)が監督 になる |
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5月 | 第7回ベーブルース杯争奪野球大会 (川崎球場) 1回戦 大昭和製紙 2:0 |
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昭和29 年 | 5月 | 第8回ベーブルース杯争奪野球大会 (草薙球場) 日本軽金属 2:1 |
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8月 | 第1回選抜都市対抗野球 東日本大会(室蘭 富士球場) 富士鉄室蘭 4:1 |
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昭和30 年 | 5月 | 第9回ベーブルース杯争奪野球大会 (川崎球場) 東京ガス 4:5 東洋紡冨田 3:1 |
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8月 | 第2回選抜都市対抗野球 東日本大会(富士鉄釜石球場) 日立製作所 5:6 富士鉄室蘭 4:0 |
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昭和31 年 | 出沢政雄 監督となる | ||
昭和32年 | 5月 | 第11回ベーブルース杯争奪 野球大会(富山球場) 熊谷組 5:2 |
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8月 | 第4回選抜都市対抗野球 東日本大会(福島信夫ヶ丘球場) 富士鉄室蘭 2:0 |
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昭和33年 | 5月 | 第12回ベーブルース杯争奪 野球大会(室蘭富士球場) 明電舎 1:4 富士鉄室蘭2:3 日本生命 9:2 (準決勝) |
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7月 | 第29回都市対抗野球全国大会 (後楽園) 日本石油 4:2(日本石油 優勝) |
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8月 | 第5回選抜都市対抗野球 東日本大会(札幌中島球場) 日本通運 4:1 |
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昭和34年 | 全国大会では常磐の近藤功投手と出 沢政雄二塁手が、東北代表の釜石製鉄チームの補強選手として出場し、釜石チームの準優勝に力を貸した。 | 森田政一、南温平も補強選手として出場出沢政雄は久慈賞を受賞 | |
昭和35 年 | 8月 | 第31回都市対抗野球全国大会 (後楽園) 松下電器 3:0 |
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昭和36 年 | 大沢紀三男(元日本ハム監督大沢 啓二の実兄)が監督となる |
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7月 | 第32回都市対抗野球全国大会 (後楽園) 川崎トキコ 1:2 (近藤投手延長13回を力投 村田滋のサヨナラホームラン) 小西酒造 3:1 |
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昭和37 年 | 7月 | 都市対抗全国大会に出場 | 第33回都市対抗野球全国大会 (後楽園) 西請運輸 0:1 日本石油 6:0 |
10月 | 炭況不振のため解散 | ||
この 間 | 福島県を代表するノンプロチームとして活躍 、「ベーブルース杯争奪 東北 大会」に7回、都市対抗東北大会に5 回の優勝を記録 した。 | ||
都市対抗全国大会では力量を発揮 しえず、2回戦までの進出で終った | |||
昭和39 年 | 11月 | 常磐炭砿の系列会社による総合チーム「オール常磐」として再発足 | |
昭和40 年 | |||
昭和41 年 | 7月 | 都市対抗全国大会はじめて準々決勝まで勝ち進み、近藤功投手が優秀選手として表彰された | 第37回都市対抗野球全国大会 (後楽園) 三菱重工名古屋 0:1 (近藤投手快投) 日本通運 1:2 (延長15回 蔵本勇決勝 ホームランを放つ) 日本石油 10:0 |
応援団コンクールで最優秀賞を受賞 | |||
(習技生達と常磐ハワイアンセンターダンシングチーム) | |||
昭和42 年 | 全国大会に進出 | ||
昭和43 年 | |||
昭和44 年 | |||
昭和45 年 | 7月 | 全国大会に進出、常磐ハワイアンセンターのダンシングチームによる華麗な応援に対して応援団賞が授与された | 第41回都市対抗野球全国大会 (後楽園) 電電東海 3:4 日本石油 1:0 |
昭和46 年 | 2月 | 常磐炭砿磐城砿業所閉山の年に 歴史を閉じた |